平家起つ 3.平治の乱 藤原信頼は三条烏丸殿の外から後白河上皇に向けて宣告した。平治物語では、これまで朝廷に仕えてきたのに信西の讒言で誅せられようとしているので東国へ逃れることにすると馬上から宣告したという。しかし、三条烏丸殿の外におよそ五〇〇騎の軍勢がいてこちらを向いているのである。これは逃れようとする者のとる行動ではない。おまけに、三条烏丸殿の人達は門の外から早く火を掛けるよう促す声まで聞こえてきているのだから、これで冷静でいられる人がいたらそのほうがおかしい。 後白河上皇のもとに権中納言源師仲が駆け寄り、ここは危険なので御車に乗って避難するべきと主張し、後白河上皇と上西門院統子内親王が源師仲の言葉に促されて御車に乗りこんだ。御車に乗った後白河上皇と...2021.06.01 10:20平安時代叢書
平家起つ 2.平治の乱前夜 保元三(一一五八)年二月三日、鳥羽法皇の第二皇女である統子内親王が後白河天皇の准母として皇后に立后された。准母とは、天皇の実の母ではない女性が天皇の母に擬されること、また、そうした女性への称号である。実母である待賢門院藤原璋子を一三年前に亡くしている後白河天皇が誰かを准母に指名することは不合理なことでは無かったが、准母として選ばれた統子内親王の素性を考えると異例であった。統子内親王は後白河天皇の一歳上の実姉なのである。 すでに述べてきたように、この時点で近衛天皇中宮の藤原呈子が皇后であり、近衛天皇皇后藤原多子の姉である藤原忻子が後白河天皇の中宮に、近衛天皇妃の藤原多子が皇太后である。ここに統子内親王が入り込むため、皇后藤原呈子が皇...2021.06.01 10:10平安時代叢書
平家起つ 1.信西政権 「平家ニ非ズンバ人ニ非ズ」 現在でも、平清盛率いる平家が、武士としての権勢を拡大し、その勢いがいかに強大なものであったのかを記すときに使われる言葉である。 ただ、この言葉は二重三重の思い込みが重なっている言葉である。 まず、この言葉を話したのは平清盛ではない。この言葉を語ったとされているのは平清盛の義理の弟である平時忠であり、語ったのは承安四(一一七四)年一月一一日に権中納言平時忠が従二位に昇叙したときのこととされている。 次に、平時忠は武士ではない、平家の一員ではあるが、平時忠が平家の一員となったのは姉が平清盛と結婚したからであり、それまでは、桓武平氏ではあっても伊勢平氏ではなく、末端の貴族であった。 三番目に、この言葉は平家物...2021.06.01 10:00平安時代叢書