安殿親王と薬子 2.薬子の変 政治の効率としては、複数の権力者による話し合いより、一人がトップに君臨してのトップダウンであるほうが圧倒的に効率的である。 桓武天皇の頃も天皇をトップにしてのトップダウンであったが、その途中には貴族というワンクッションがあり、トップダウンもそこで跳ね返されることがあった。下からの誓願も貴族というフィルタがかかり桓武天皇の元に届かないことがあった。 平城天皇はそのワンクッションを取り外した。 そのため、全ての命令が平城天皇から発し、全ての誓願が平城天皇に届くようになった。 後に弊害が出てくるが、中流から下流の役人を重用し、上流の役人、すなわち貴族を排除する平城天皇の政策は、この時点では成功したと言って良い。 行政のスムーズさは経済に...2009.05.31 10:50平安時代叢書
安殿親王と薬子 1.平城天皇の時代 女の幸せは、妻となり、母となることだという人がいる。 しかし、それは否だと私は考える。 そしてこう考える。 幸せとは、男であれ、女であれ、誰かに愛されることなのではないのだろうかと。 そう考えると、藤原薬子(ふじわらのくすこ)は幸せな人生だったと思われる。2009.05.31 10:40平安時代叢書