北家起つ 3.藤原独裁政治の入り口 役人の腐敗は止まらないどころか悪化していた。 無論、それに対して何もしていなかったわけではない。 二月九日、横領の容疑で複数名の役人が逮捕された。ただし、懲戒免職となった三名と、発覚する前に死去していたため免罪となった二名の名が伝わっているが、その他の名は伝わっていない。 その一方で、民衆のためを思って働いていた役人もいた。渤海使帰国後は空室となった鴻臚館(こうろかん・現在で言う迎賓館)を、住まいを失っている民衆の避難場所として開放したのもその例である。 ところが、その行為は善意であったが、結果はそうではなかった。 売ればカネになるとカベを引き剥がし、屋根瓦を持ち去り、庭の木を切り倒し、賓客歓待用の食器は勝手に売りさばくといった行...2009.09.30 11:00平安時代叢書
北家起つ 2.対新羅戦争 東北地方の戦乱が集結したことで、とりあえず平和にはなったと誰もが感じた。 だが、その平和は半月しかもたなかった。 一二月二八日、新羅軍、対馬襲来。 桓武天皇の時代は、新羅といつ戦争となってもおかしくない時代でもあった。外交の対立が両国の関係を悪化させ、敵対している状態が続いているためにお互いに手出しできないでいることがかえって平和を招いていた。 その緊張を平城天皇は平和的に破った。敵対していた新羅との関係を友好に転換させたのである。両国の使節が往来するようになったことは、いつ戦端が開かれてもおかしくない緊張を緩和させることとなった。 傍目には平城天皇のほうが平和に近いと思われるが、平和を望むならばむしろいつでも戦闘に打って出てやる...2009.09.30 10:55平安時代叢書
北家起つ 1.縄文時代終結 平城上皇の出家、薬子の自殺、そして仲成の死刑。 ライバルを一掃した藤原冬嗣(ふゆつぐ)はまだこのとき三五歳。平均寿命の短い当時でもこの若さならば未来はまだまだ長い。 その長い未来を前にして、ライバルを蹴落とし、権力を一手に掴むことに成功した冬嗣はこれからの人生を栄光の日々としてもおかしくはなかった。 だが、歴史はそれを許さなかった。 歴史が冬嗣に課したもの、それは、天災と人災という名の試練である。2009.09.30 10:47平安時代叢書