欠けたる望月 6.道長の死 右大臣藤原実資の生み出した冤罪事件の噂が京都市民の間を駆け巡ったのは万寿四(一〇二七)年五月まで。六月になるとそれよりもはるかに大きな噂が京都市民の間を駆け巡ることとなった。 法成寺の藤原道長がいよいよ危ないという噂である。 たしかに、ときおり見かける法成寺の藤原道長は糖尿病に冒されている姿以外の何物でもない。兄の藤原隆家がそうであったように、また、伯父の藤原伊尹がそうであったように、だんだんと痩せてきて、いや、やつれてきて、やたらと水を飲むようになり、視力がだんだんと失われてきていた。 現在の医学は、このときの藤原道長を糖尿病であったと断定している。ただし、俗に言われているように贅沢三昧の末に糖尿病になったのではなく、遺伝による...2016.04.30 15:25平安時代叢書