次に来るもの 8.藤原師通 寛治五(一〇九一)年八月七日、京都を中心とする地域を巨大地震が襲った。 藤原道長の建立した法成寺は大打撃を受け多くの建物が崩壊した。 白河上皇の建立した法勝寺は、そのシンボルであった九重塔が傾いたほか、確認できるだけで五つの建物が崩壊した。 大和国からは吉野にある宝殿が崩壊したという連絡が届いた。 歴史の記録として残っているのは寺院に関するものだけであるが、それ以外の被害が全くなかったとは考えられない。それどころか、被害は史料に残された具体的な記録よりはるかに大きかったのではないかと推測されるのである。 何があったのか? 寛治五(一〇九一)年一一月一五日、藤原清衡から関白藤原師実に対して二頭の馬が献上された。まずは第一弾として二頭...2018.04.30 09:40平安時代叢書
次に来るもの 7.後三年の役終結 朝廷からの連絡が来ないまま時間を過ごしていた源義家は、援軍なしでの軍事行動を決意する。清原清衡とともに軍勢を進めた源義家は、出羽国沼柵(現在の秋田県横手市雄物川町)にある清原家衡の本拠地までたどり着いた。ただの陸奥国司であれば国境の外まで軍勢を派遣したこの瞬間に国司失格の行動となったところであるが、源義家は鎮守府将軍を兼任している。ゆえに、軍勢を派遣する先が出羽国である場合に限り、陸奥国の外まで軍勢を派遣することが許される。 ただ、いかに権限があろうと、戦闘に勝てるかどうかは全く別の話である。季節は冬。軍勢の移動に適した季節ではない。兵糧はどうにかなったとしても、攻城戦に適しているとは言い切れないのだ。 結果は、攻城失敗。 攻撃を...2018.04.30 09:35平安時代叢書
次に来るもの 6.後三年の役開戦 承暦四(一〇八〇)年八月一四日、白河天皇はついに決断した。 内大臣藤原信長を太政大臣に昇格させると発表したのである。内大臣から太政大臣への昇格自体は過去に例のないことではないが、丸六年に渡って政務をボイコットしていた人物を太政大臣に昇格させるというのはああまりにも異例であった。また、太政大臣に昇格したと同時に右近衛大将から解任された。右近衛大将を太政大臣が兼ねることはあり得ないことであり、右近衛大将解任自体は通例に基づくものである。ただし、そのやり方はあまりにも強引であった。何しろ、太政大臣でありながら位階は正二位のままなのだ。正二位でありながら太政大臣というのは 人事の詰まりが解消されたことにもなり、同日、大幅な人事刷新が行われ...2018.04.30 09:30平安時代叢書
次に来るもの 5.三不如意の萌芽 藤原信長のストライキによる内大臣不在は続いていた。 内大臣がいなくても政務がどうにかなっていたということである。 白河天皇は、やがていつかは自分が帝位に就くことを確信してきた人生を過ごしていた。ただ、二〇歳という若さで即位するとは夢にも思わずにいた。父が四〇歳を迎える前に退位して二〇歳の自分に帝位を譲るとは全く想像してこなかったし、即位後、継母である禎子内親王が歯向かう存在となるとも想像していなかった。それが、若くして即位しただけでなく、気がつくと、藤原頼通が亡くなり、関白藤原教通も亡くなり、上東門院藤原彰子も亡くなった摂関家が味方という状況になっていた。その上、白河天皇自身が、皇太子実仁親王が即位するまでの中継ぎの天皇とさえ見ら...2018.04.30 09:20平安時代叢書
次に来るもの 4.白河天皇即位 後三条上皇について、新たに帝位に就いた白河天皇がどのような思いでいたのかを示す面白い記録がある。後三条天皇は、摂関政治の否定、荘園の否定、内裏再建の三つに全身全霊をかけてきた。そのうち、内裏再建は既に完了し、摂関政治の否定は白河天皇の後継者が藤原氏を母としない実仁親王となったことで形になった。そして、後三条上皇が見えないところで君臨している。普通に考えれば全身全霊をかけてきた政策の残る一つである荘園の否定についても継続しているはずである。 ところが、荘園の否定を前提とした組織である記録荘園券契所の記録が白河天皇の即位とほぼ同時に姿を消す。荘園整理自体が無くなったわけではない。だが、荘園整理をする組織が無くなったのに荘園整理がうまく...2018.04.30 09:20平安時代叢書
次に来るもの 3.後三条天皇退位 さて、しつこいくらいにこの時代の通貨は「コメや布地」と書いてきたが、途中から通貨がコメしかないかのような書き方をしてきた。ここに、この時代のインフレの問題点がある。 コメや布地が通貨として機能している、いや、コメと布地の二種類が通貨として機能していると言うことは、モノやサービスの売買をコメにするか布地にするか選べると言うことでもある。 化学繊維など存在しないこの時代、布地というのは天然繊維である。 では、どのような天然繊維があったのか? まずは絹である。発掘調査の結果、日本国での絹生産は紀元前二世紀にはすでに始まっていたことが判明しており、律令における税制でも絹織物を納めるよう規定されていた。農家の貴重な副業であると同時に、絹糸を...2018.04.30 09:15平安時代叢書
次に来るもの 2.後三条天皇即位 即位間もない後三条天皇には、真逆の二つの期待が寄せられていた。 世の中を大きく変えることと、世の中を大きく変えないことである。 前者はより良い世の中になることを期待し、後者はこれまでの暮らしが続くことを期待する。相反するこの二つの期待は政権交代が起こるたびに見られるごく普通の期待であるが、解決するのは難しい。通常はどちらか一方しか選べないものである。 しかし、後三条天皇はその双方の期待に応える一つの策に打って出たのである。 それが、大規模な開発である。莫大な国家予算を通じて新たなものを生み出すのだ。 世の中の変化を求める者にとっては、大規模な開発によって新しい時代が作られることの期待であり、これまでの暮らしが続くことを願う者にとっ...2018.04.30 09:10平安時代叢書
次に来るもの 1.藤原頼通政権の終わり ダートマス大学のシドニー・フィンケルシュタイン教授は、著書「名経営者がなぜ失敗するのか」の中で、失敗する経営者のパターンとして七種類を挙げている。 一、自分と会社が市場や環境を「支配している」と思い込む 二、自分と会社の境を見失い、公私混同する 三、自分を全知全能だと勘違いする 四、自分を一〇〇パーセント支持する人間以外を排斥する 五、会社の理想像にとらわれ、会社の「完璧なスポークスマン」になろうとする 六、ビジネス上の大きな「障害」を過小評価して見くびる 七、かつての成功体験にしがみつく 政治家と経営者は必ずしも完全に同一ではないが、同一視できるのではないかと言えるほどあまりにも多くの共通点がある。自分の働いている先の責任者がこ...2018.04.30 09:05平安時代叢書