ほむらみさき、そして… メディアの力とは怖いものだ。 先月まで自殺の名所だったところが、おいしい蕎麦のある名所になったのだから。 「けっこう待ちましたからね。こんなに待ったらおそばが伸びてどうしようもないでしょうに」 「ソバ出されてから待つわけじゃないっての」 生まれたときから通っていると言ってもいいこの店に、桂は生まれてはじめて行列に並んで入店した。 テーブル席は全て埋まっていて、桂が案内されたのは入り口近くのカウンター席。 真新しい割烹着をまとった和泉はいかにも不慣れな様子。和泉のアルバイト初日、いかにも学生アルバイトという雰囲気の外見は新鮮なものに見えた。 「で、何にする?」 「いずみさんをください」 「こら!」 「いいじゃないの、桂ちゃんが貰って...2017.01.24 12:02小説
ほむらみさき 「参りましたね。行けども行けども木ばっかりで、コンビニの一件も見つかりません」 桂は平然としていた。 「当たり前でしょ」 和泉は怒っていた。 二人とも今どこにいるのかわかっていない。 太陽によれば森の中を東から西へ突っ切っていることらしいのはわかるのだが、いま自分たちがどこにいるのかがわかっていない。 今来た道を戻れば帰れるのではと考え少し戻ってみたが、よけい混乱を招くばかりで何のメリットもなかった。 歩いていけないこともないというレベルの踏み分け道を歩き続けてからもう二時間以上は経過しただろうか。夏の午後の日差しはすっかり夕日に変わっていた。 和泉はタンクトップにミニスカートという、およそ森の中を歩くのに相応しいとは言えない格好...2017.01.24 11:30小説
あおひとくさ 『援助交際ですかぁ? したことあるってゆうかぁ、してるってゆうかぁ……』 和泉が生まれて始めてテレビに出たのは昼間のオバサン向けのワイドショー番組。 顔にはモザイクが施されていて一般視聴者には誰だかわからないが、見る人が見れば着ているものでわかる。 「あら、和泉の学校。ま、あの娘は関係ないでしょうけど」 親を自慢させるほどの名門女子校の制服が映っていても和泉の母は安心しきっている。娘の売春を信じる親もいないが。 髪。 ソックス。 スカート。 化粧。 何もかもが周囲に溶けこむ和泉の格好。 校則では禁止。でも、守っている人のほうが少ない。みんなやってるから和泉もやってる。それが和泉のポリシーというわけでもなく、かっこいいとは思っている...2017.01.23 12:29小説
わかりあえるはず 6(完) * * * 三年前。 明の家には、明と、江本と、その当時はまだ小さかったミカの、二人と一匹が住んでいた。明はそれが夏休みだけの特別な暮らしだと割り切っていたが、江本はその生活が永遠に続くと信じていた。 二人はどこに行くにもずっと一緒だった。たった一日を除いて。 江本との奇妙な同居が始まってから三日後、明は警察に呼ばれ、身元引受人として明の父が呼ばれた。 「理由はどうあれ、人を一人傷つけた」 「……」 警察署から帰る車の中で、父はこう言って明を突き放した。 全てが明らかになったとき、明には車の窓を壊し、男を殴りつけてケガを負わせたという事実が残った。 男は江本を犯そうとしたことだけが問われていたわけではない。江本は男の被...2017.01.22 12:56小説
わかりあえるはず 5 * * * 三年前。 「一人で来たんだ」 「……」明の声を無視するかのように、江本は手を合わせたまま無言でいた。 明と会うのは四ヶ月ぶりだったが、二人きりで会う約束をしていたのはその日が初めてだった。蝉がけたたましく鳴いたその日は、その年一番の暑さだったことはよく覚えている。 「その手……」立ち上がって明のほうを見た江本は、三角巾で左手を首に吊っているのに驚きを見せた。 「タックル食らってね。で、コケてボキッっと……」ギブスで固められた左手を平気で振りながら、平然とした顔で言った。 「あまり、危険なことしないで……」 「だいじょぶだよ。もうほとんど固まってんだしね」 明は江本の横を通りすぎて、さっきまで江本がいた場所に...2017.01.22 12:38小説
わかりあえるはず 4 * * * 三年前の三月。 明にとってのファーストキスは突然訪れた。 「受かったんだって。おめでとう」 「心にもないこと言うなよ」 三月、中学受験に合格したことを母の墓前に伝えたとき、明のすぐ隣には江本がいた。 座って、目を閉じ、手を合わせていた明は、立ち上がったとき、足がふらついて倒れそうになった。 「あぶなっ……」 「きゃっ……」 思わず江本にもたれかかり、そのまま明の唇が江本の唇を捕らえていた。 それは事故であり、二人きりになっていたとは言え、明は意識してキスしたわけではなかったし、江本も全く予期していなかった事態であったが、今までの二人の間を変えるに相応しい出来事でもあった。 そのときは明の父も江本の母も本堂のほ...2017.01.22 12:27小説
わかりあえるはず 3 * * * 三年前のゴールデンウィーク。 「ちょっと来てくれないかな」 「どうしてですか?」 「いいからいいから」 その日の午前中に行なわれた練習試合を終えて寮へ帰ろうとした明は、その途中で了子に呼び止められ、一緒に駅のほうまで行くことになった。明はこのときの出会いを偶然と思っていたが、了子は後に、明が来るのをずっとそこで待っていたのだと明に語った。 それまでにも了子を見たことはあった。ただし、それは全校集会のときに演壇に立つ生徒会副会長としての了子であり、チアリーダー姿の了子であり、その当時寮の同室であった永野の机の上に飾られた写真の中の了子であった。 ちょっとした憧れはあったし、アルバムの中の母に似た面影を持った女性...2017.01.22 12:17小説
わかりあえるはず 2 * * * 四ヶ月前。 入学式は快晴だった。合格発表や入試当日が大雨に祟られたことを埋め合わすのに充分すぎるほどの陽射しで、真新しい制服姿には心地好い暖かさであった。 「え~、皆さんもご存じのように、我が朱雀台学園高校は今年で創立八〇周年を迎え、以前は男子校でありました我が校も、え~、共学に移行してからちょうど二〇年目を迎えることになりました。新しく入学された皆さんも、え~、我が朱雀台学園の生徒であることを誇りに思って、え~……」 退屈、あるいは苦痛を強制される式典での生徒達の反応はおおよそ決まっていて、それがたとえ入学式であろうと崩されることはなかった。 「ZZZ……」 「おい、神崎、起きろ……」 「ん? ん~…… Z...2017.01.22 12:05小説
わかりあえるはず 1 * * * 現在。 「遅かったね……」 「時間を合わせたかったから。あの時と」 昨日から風雨が荒れ狂っていた。コンクリートであろうと、土のままであろうと、地面という地面は水溜まりよりも小川と呼ぶべき姿に変わっていた。 その細い身体には不釣合な大きくて黒い傘に守られながら、江本は手を合わせてじっと目を閉じていた。明らかに新品ではないジーンズは跳ね返りで土汚れが目立ってきている。スカートはやめた方がいいという明の言葉は正解だった。 明が母の墓前に足を運んだのは、江本よりも三〇分ほど後のこと。江本の点した線香の火は雨と時間とで消えていて、明は自分の持ってきた線香に火を点し、その上に乗せた。 江本がこの場で明の背中を見るのは...2017.01.22 11:39小説
苦悶の捕虜 ある国とある国の戦争で一つの物語が生まれた。 戦争は年寄りも若者も巻きこむ、終わりない泥沼となっていた。 A国の捕虜収容所、B国の兵士は強制労働と拷問で次々と死んでいった。 これはB国でも同じことであり、こうした敵愾心がさらなる憎悪と生み、さらなる戦争を生んだ。 若者は遊ぶ代わりに戦い、老人は休む代わりに働いた。 恋も、安息も、人間らしさもそこにはなかった。2009.04.10 09:00小説
共喰 トモグイ 昭和46年8月4日、千葉県にある印旛沼のほとりの杉林。 人目はなく、乗用車のヘッドライトだけが明かりとなっている。 穴を掘る三人の男と一人の女。 「た、助けて……」 全身アザだらけとなりながら、早岐やす子は何とか乗用車から逃げ出した。 「早岐が逃げた!」 「追いかけろ!」 早岐が逃げたことを知った男達は穴掘りを中断して追いかけた。 「いやー!」 「待て! 裏切り者!」 早岐やす子は誰からも助けられることなく男達に追いつかれ、毛布をかぶせられて殴る蹴るの暴行を受け、ビニール紐で首を絞められて殺された。 主犯は寺岡恒一、吉野雅邦、瀬木政児の三人。共犯は運転手でもあった小嶋和子。 四人は中断した穴掘りを再開し、早岐やす子の遺体を裸にして...2008.09.30 09:00小説